あげろじゅうにしゃはいでんそうしょくちょうこく
上路十二社は、明治13年に現在地に建築されました。大工棟梁は建部源太郎(市振)、彫刻棟梁は北村喜代松(市振)、木挽棟梁は高沢菊五郎(上路)です。〈上路十二社拝殿棟札による〉 彫刻棟梁の北村喜代松は、当時の市振村、屋号「喜平家」惣領として天保4年に生まれました。生家は社寺の建築設計から装飾彫刻もする宮大工でした。喜代松は、父を早く亡くしましたが、家業を継ぐ意識は堅く、その方の達人を求めて修業を重ねました。20歳に満たないころまでには、神楽を造ることのできる彫工に成長しました。 上路十二社拝殿の造営に伴うこの彫刻の制作時における喜代松は、48歳の壮年期で、雲竜、唐獅子はもちろん、唐草紋様等いずれもその形体は江戸時代末期の神社装飾彫刻の手法に適い、しかも材質の特性をよくいかした刀痕は、まことに鮮やかなものを感じさせる作品です。 喜代松の作品としては、他にこの作品より規模の大きいものはありますが、作品としての出来栄えは他に比して、決して遜色のない力作でしょう。しかも、作品の保存度は他所にある同型のものに比しても頗るよいです。 因に喜代松には、長男に彫刻家 北村四海(幼名 北村直次郎)、孫に彫刻家 北村正信(幼名 虎井友吉:旧青海町名誉町民)がおりともに直次郎、友吉時代には喜代松から手ほどきと厳しい指導を受けていました。
指定 |
市町村 |
種別 |
有形文化財(彫刻) |
員数 |
一式 |
時代 |
明治13年 |
所有者・管理者 |
十二社 |
指定年月日 |
平成5年9月27日 |